Makiko Akiyama

Independent jewelry writer and translator.

イベント情報

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Jewelry Artists of Japan主催でトークイベントを企画していただきました。

過去の文献を踏まえつつ、現在の装いをとりまく環境などもからめながら、作品としてのジュエリーの「鑑賞」「つける」「装う」についてお話しします。

トークイベント:「つける」と「装う」の微妙な関係:コンテンポラリージュエリーと日常の接近

開催日:2022年7月8日(金)19:00-
会場:渋谷区文化総合センター大和田
前売:一般1500円、学生1000円、後日配信800円
主催:Jewelry Artists of Japan

詳細は Peatix でご確認ください。

https://jaj20220708.peatix.com/


画像の作品:嶺脇美貴子、ネックレス、素材:プラスチック製の玩具や人形各種、2008-2015?、 © 嶺脇美貴子

小指の指輪一考

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小指の指輪といえばまっさきに思い出されるのがジャン・コクトーで、学生時代、カルティエのトリニティを小指にはめたコクトーの粋な姿を見て、珍しくブランドもののジュエリーを欲しいと思ったものだった。原始体験がそれなもので、昨今の華奢なピンキーリングにはどうも食指が動かない。私に言わせれば、小指の指輪は大ぶりに限る。

職業柄欲しいジュエリーには事欠かない。高額なものから比較的手ごろなものまで、ウィッシュリストは長くなるいっぽうである。では買う時の決め手はなにかと問われれば、タイミングとしか言いようがない。

「銀ってこんなにきれいで高級感がでるものなのか!」と感動したのは2年ほど前のこと。北九州、小倉を拠点とするジュエリーブランド、GIFTEDの東京での展示販売を見た時のことである。それまでさほど興味のなかった銀が急に、文字どおり輝いて見えた。その約1年後、そのなかの1点を購入した。既存のサイズ展開では私の指に合うものがなくわざわざ型から作ってもらった。それが冒頭の写真の指輪である。

その直前、かつてコクトーのトリニティに対して感じたのと似ていなくもない、小指の指輪へのあこがれが再熱する出来事があった。仕事でシャネルについてリサーチをしていた時のことである。数ある写真資料に目を通していたとき、1枚が目にとまった。

それはシャネルの手元を大写しにしたモノクロ写真だった。優雅なドレープの寄った質のよさそうな白いやわらかな布の上に、両の手が互いにそっと寄り添うように置かれている。鉛筆を握った右手の小指には石付指輪を4本(3本がスクエアカットの石をぐるっと一周並べたもので、1本が大粒のひとつ石のもの)、左小指にはコイン風のモチーフが主役の指輪を1本はめている。ほかの指には何もつけておらず、左手首にはブレスレットが光る。

シャネルの美貌を前面に押し出した多くのポートレートに比べると、この写真は異質だと言えなくもない。シミがぽつぽつと浮き出た、いかにも使い込まれたその手は間違いなく働く女のそれである。仕事中毒で四六時中手を使っていたからマニキュアを嫌ったという逸話を裏づけるかのように、爪には縦ジワが刻まれており入念な手入れの気配はない。

が、だからこそこの写真は、労働とおしゃれを両立させる自立した女性のイメージを強化するのに効果的だ。一見何気ない仕事中のひとコマに見えて実は計算づくの演出なのだろう。この写真が、シャネルの豪華なジュエリー本の1枚目を飾っていることからもそれは明らかだ。だが、たとえ計算や戦略であろうと、小指にだけ指輪を遠慮なくつけているというあたりに、ジュエリー好きのリアルな本音が垣間見えるような気がするのである。

指輪というのは何をするにも邪魔になるものである。結婚指輪のように細身でシンプルなものであれば薬指につけるとさほど邪魔にならないし、結婚指輪=左手薬指という風習が定着したひとつの理由がそれだと聞いたこともある。だがそれではしゃれっけは満たせない。

重ね付けやボリュームを楽しむことができつつも、わりあい邪魔にならないのは断然小指である。これは経験から学んだ自論であるが、シャネルの手元写真を見たときに、ひょっとすると彼女も同じように考えていたのではないかと思ったのだ。

虚像を巧みに使いこなした戦略家のシャネルのことだから本当のところはわからない。だがたとえあの写真がイメージ戦略の一環に過ぎないものだったとしても、彼女ほどの才気あふれる女性が仕掛けたものとあれば、こちらだって喜んでその術中にはまろうというものだ。

その写真を見て長く忘れていた小指の指輪への熱がぶり返した。そんな折に舞い込んだのが GIFTED の展示販売の案内だった。その際はとくに小指用の指輪を購入するつもりはなかったが、店頭でこのテキストに添えた写真の指輪を見た時、ふとシャネルの手元が思い出され「これを小指につけたらどうだろう?」と思い立った。この指輪はこのブランドの定番アイテムで何度も目にしてきたはずなのに、小指につけるという選択肢が思い浮かんだのはそれが初めてだった。不思議なタイミングの働きである。

私にとってこのような印台風の指輪というともうひとり、向田邦子が思い出される。いつぞや見た本で、彼女の愛用の品として紹介されていたその指輪は小柄なこの作家に不釣り合いなほど大ぶりで、天面に彫刻風のレリーフが施されている。ミーハーな私は、こうして自分が憧れる人たちがジュエリーをつけていると似たようなものが欲しくなってしまう。我ながら単純な性癖でお恥ずかしい。

完成して私の手元に届いた銀の指輪は、コクトー、シャネル、向田邦子がつけていた指輪のどれとも似ていない。だが、私にとってはその全部が凝縮されている。そもそも姿かたちが似ているかどうかは問題ではない。先人たちの指輪が輝いて見えたのは、指輪の意匠や造形の問題ではなく、人とジュエリーが織りなす相乗効果によるものであり、もっといえば彼ら彼女らが身につけていたからこそ輝いて見えたのである。

私はといえば、少なくとも今世のうちは、自分がジュエリーの引き立て役になるという域にはとうてい達せそうもない。が、もともとなかったサイズの指輪を作ってもらったことで、自分をジュエリーに合わせにいくのではなく、ジュエリーを自分の色に染めるという感覚を遅まきながら得られて、少しだけ前進できた気分である。

この指輪を作ったGIFTEDのデザイナーは約20年来の友人の増﨑啓起さんである。この指輪には、先人へのあこがれだけじゃなく長年のご縁も詰まっている。

普段は展覧会評や作家論を書くことが多いが、たまには私的な文章を書いてみたくなった。ジュエリーにどんな意味や役割があるかは学んで知ることができる。が、それではジュエリーをつけるという行為の本当の意味をわかったことにはならない。

ジュエリーを研究対象にしているとそのことをしばしば忘れてしまいそうになる。だから、生きたジュエリー体験のひとつの記録として、小指の指輪について思ういろいろを書き残しておくことにした。

掲載情報

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浜崎飛優《Garden》ブローチ、2021、素材:造花、銀、ステンレススチール

こちらでの告知が後手に回っておりましたが、ウェブマガジン、Jewelry Journal で「コンテンポラリージュエリーことはじめ」と題した連載を持たせていただいております。約1年かけてコンテンポラリージュエリーの基礎と歴史を追っていきます。現在2回まで公開されております。よろしければ以下のリンクからどうぞ!

第1回「コンテンポラリージュエリーって何?」
https://www.jewelryjournal.jp/blog/26143/

第2回「コンテンポラリージュエリーに至る道のり」
https://www.jewelryjournal.jp/blog/26656/

上の画像は連載第1回に掲載させていただいた浜崎飛優さんのブローチ《Garden》です。

JOJI KOJIMA 「BLACKGOLD」

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© JOJI KOJIMA

JOJI KOJIMAについては以前から知っていたが、なかなか作品にお目にかかることができず、2020年になってやっと渋谷で行われた彼の個展で実物を見ることができた。会場のギャラリーは天井から床までトータルコーディネートされ劇場のような相貌を帯びて異空間と化し、神秘的でドラマチックな作品群が暗がりのなかで妖しい光を放っていた。ギャラリーの半分にはアーティストの愛蔵書や私物のオブジェが並んでいた。

わたしが知るかぎり、ここまで全面的に自分の世界観(…という言葉は嫌いだが、そうとしか呼びようがないもの)を打ち出すジュエリー作家は珍しい。人によってはこの個性をアクの強さととらえるかもしれないが、嫌味な感じも鼻につく感じもしないのは、おそらくこの作家が自己顕示にさして関心がなく、自分が思い描くイメージを共有したいという、いわば純粋なサービス精神を原動力としているからではないかと思う。

ほどなくして彼に取材させてもらう機会に恵まれたが、そのときはすでにコロナ禍に入っておりすべてはオンラインで完結した。その後の自粛生活が長引き、いつか直接お会いしたいという望みをあきらめかけていたころメールボックスに舞い込んだのが、プライベートエキシビション「BLACKGOLD」への招待だった。

会場はJOJI KOJIMAのアトリエ兼ショールームで、招待メールによれば入り組んだ場所にあるので来場の際は付近まで来たら電話をいれてほしいとのことだった。隠れ家のようなその立地もミステリアスなこの作家にぴったりで、展示の演出の一部であるかに感じられた。

近くまで出迎えに来てくれた彼のパートナーである淳子さんの案内で会場を訪れると、午後の光が差し込む一室には3つのコレクションが並べられていた。そのひとつは《MASQUERADE》で、今や外出時の必須アイテムと化したマスクを美術工芸品の高みに押し上げた作品である。現在進行形の問題を扱っているのに、仮面舞踏会や中世の甲冑を思わせる懐古趣味的なところもある。装飾的だが構造に無駄なところがなく、熟慮に熟慮を重ねてこの形に至ったことが推測された。

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ふたつめは《Femme Fantôme》。男女の顔をかたどった指輪が各2点、計4点で構成され、男女いずれも装飾を施したものとそうでないものとで対をなしている。女性の方はJOJI KOJIMAの理想の女性、ドクロで表された男性の方はその女性に恋に落ちた彼自身をモチーフとしているのだそうだ。指輪といっても少し変わっていて、指の関節のところに指輪の顔の顎関節が来るようになっており、指の曲げ伸ばしに合わせて口が開閉する仕組みになっている。この4点は電気仕掛けの装置にセットされており、中央の卵型のオブジェをはさむようにして並べられている。音楽が流れだすとこの装置が作動して指輪の口がパクパクと動きだし、あたかも歌を歌っているかのように見える。

みっつめのコレクションは、作家にとってはじめてのハイジュエリーのラインである《Little Treasure》である。4点の指輪からなるゴールドや真珠、ダイヤモンドを使ったコレクションで、それぞれ細部に楽しい工夫が仕掛けられている。ダイヤを閉じ込めた鳥かごが繊細なチェーンで本体につながれており、ぱかっと外すことができるもの。盃形の底に留められた真珠がそれを取りまくゴールドの表面に刻まれた筋目を映し出し、真珠本来の光沢との相乗効果で不思議な模様を浮かび上がらせるもの。そして、真珠が惑星に見立てられ指でクルクルと回転させられるギミックが効いているもの……どの指輪も、その小さな細工に見る者を引き込む力を持っていた。

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JOJI KOJIMAは近年の作品で曲線美を特長としてきた。今回の「BLACKGOLD」でもそれは健在だったが、その用法に変化が見られていたように思う。これまでの作品における曲線は、従来的なジュエリーのサイズ感や造形を越えることで生きてくるケースが多々あった。たとえば《UTOPIA》(2012)や《ROSA》(2015)は指輪だが、指にはめられた時の印象はどちらかというと指サックに近く、指の付け根のあたりから爪の先まで流線型を描いて長く伸びるラインが身体に新しい風景を創り出す。

こうしたいわばジュエリーの定型外の造形による新たなイメージの創出もまた彼の大きな魅力のひとつだが、わたしにとってそれらの作品は、日常とかけ離れていて鑑賞用と割り切らざるを得なかった。JOJI KOJIMAは幻想の創出をモットーとする作家であるから、日常からの乖離は彼の狙うところでもあるだろう(ただし、そのことは装着感などジュエリーとして必要な配慮が欠けていることを意味するのではない)。こうした非日常的な造形美を支えるのが美麗な曲線であってきた。

「BLACKGOLD」展では一転、その曲線が日常に歩み寄っているかに見えた。《MASQUERADE》が示唆するコロナ禍の日常については先に述べた。蛇足を承知でひとつ付け足すとすれば、マスクという比較的大ぶりな装身具(?)は曲線を活かしやすくこの作家と相性が良いアイテムであるという点だろうか。

《Little Treasure》は、その大きさや素材などからも日常での使用が想定されているのは明らかだ。この作品も流れるようなカーブが全体を包みこんでおり、さらにはのぞきこむ、触って動かすという付け手の能動的な関与を求めるところに「使われるもの」としての意識が働いている。

《Femme Fantôme》は、人の顔の造形が指になじむよう計算された、いくつもの小さな曲面が全体を形づくっている。これは実際につけさせてもらってびっくりしたことだが、とくに装飾のないプレーンな方は、つけた時の存在感は思いのほか控えめで普段身につけたいとすら思った。さらに顔を縁取るカーブは関節にぴったりフィットするため装着感が抜群によく肌に吸いつくような一体感がある。関節を曲げ伸ばしして口を開閉させても可動部がまったくガチャガチャせずその動きは驚くほどスムーズだ。

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男性に見立てたスカルの指輪についても触れておきたい。JOJI KOJIMAはこれまでも幾度かスカルモチーフを用いており、その際は主に技法やコンセプトで独自性を打ち出してきたが、スカルそのものの造形は比較的リアルであり、従来的なスカルの表現の域を出るものではなかった。だが今回はスカルのジュエリーのステレオタイプを壊そうとしたという。

スカルはジュエリーの定番モチーフだが、その扱いはむずかしい。シンプルにまとめようとすると漫画チックになりがちだしリアルな路線で行くと個性を出しにくいため、差別化したければ表面を石などで加飾したり周囲に小物(剣や王冠など)をあしらったりするなど方法が限られてくる。あるいは素材や色彩によってイメージを一新するという方法もあるがこれは何度も応用が利くものではない(例としては、クリスチャン・ディオールによるカラフルな半貴石彫刻のスカルに装飾をあしらったものや、SHINJI NAKABAの真珠彫刻のスカルなどがある)。

《Femme Fantôme》はこの問題に真正面からアプローチしており、JOJI KOJIMAは複雑な立体物であるスカルに優美なカーブをまとわせ、指の動きと造形になじむ洗練された形にまとめあげることで紋切り型の表現からの脱却に成功しているだけでなく、作家として新境地を開いた。

ここまで何度か引き合いにだしてきた「日常」や「普段使い」という性質は、アーティスティックなジュエリーにおけるひとつの壁である。ジュエリーは身につける媒体なので、自己表現の先には必ず付け手である他者の自意識が待っている。その折り合いをつけるのは思いのほかむずかしい。もっともシンプルな解決方法は、自分本位を貫く「作品」と使いやすさを重視した「商品」を分けて用意することだが、「BLACKGOLD」展ではより難しいそのふたつの融合に果敢に取り組まれていた。幻想を主題とするJOJI KOJIMAの場合それは、幻想と現実との融合と言い換えることもできるかもしれない。

「BLACKGOLD」展は(感染状況を考えての不可抗力の判断とのことだが)非日常と日常が展示形式にも及んでいたのがおもしろい。この日、鑑賞のあと作品が並んでいたのと同じ空間で彼と淳子さんと、コーヒーを飲みながらしばらくおしゃべりをした。足元には2匹いる猫のうちの1匹のジジコちゃんがウロウロしていた。展示空間を含め完璧なセッティングを望む彼のような作家にとって、それがかなわない状況にははがゆさもあったろうと思う。が、異彩を放つ作品群が織りなす異世界と日常とが奇妙にまじりあっていたその時間は、後から思い返すとそれこそ幻想のようで、忘れがたい稀有な鑑賞体験となった。

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JOJI KOJIMA プライベートエキシビション
「BLACK GOLD」展
会場:JOJI KOJIMA STUDIO & SHOWROOM
会期:2021年9月3日~12日

JOJI KOJIMA ウェブサイト
https://www.jojikojima.com/

MARI ISHIKAWA 「 (UN)LOCKED 」

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パンデミックがはじまってからわたしたちは、かつて経験したことのないような長い長い待ち時間に置かれている。かつての日常が戻るのを待つ時間。希望が見えては薄れていく、それをくりかえす暗く鬱々とした時間。

待つことの疲れが澱のようにたまり、鈍りきった頭と心で見に行ったのが、ミュンヘン在住のジュエリー作家、MARI ISHIKAWAの個展「(UN)LOCKED」だった。

展覧会は、植物を現物鋳造したシルバーの作品と、金属のチェーンや古い鍵にビーズを通した糸を巻きつけたり結びつけて作られた作品を中心に構成されていた。このふたつの手法を組み合わせて作られたものもある。

鋳造された植物の凍結された時間。細い糸を扱う細かい作業の連続によって、確実に進み経過していった時間。性質のちがうふたつの時間が凝縮された作品群は、いまのこの長い待ち時間のなかで見るものとしてぴったりという感じがした。

シルバーの植物は、決して訪れることのない成長を待っているようにも、新しく与えられたジュエリーとしての使命をいさぎよく受け入れているようにも見えた(とくに指輪の作品)。

生き物の命をうばって自分を飾るなんて、人はなんて傲慢なんだろう。そしてその傲慢さを正面から引き受けるまりさんは、なんてかっこいいんだろう*。

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チェーンに糸を結びつけたネックレスを手に取って動かすと、ところどころに散りばめられたビーズがきらきら光ってとってもきれいだった。陳腐な言い方だが、作るのに費やされた地味な時間と精神力が祝福されているようだった。

その時間とのストイックな向き合い方を前にして、まりさんへの尊敬が深まるとともに、自分のがさつな毎日の過ごし方が恥ずかしくなった。そういうふうに背筋を伸ばさせてくれるような作家に時折出会う。まりさんもそのひとりだ。

そして、鍵である。古い鍵を糸で覆いつくして生まれ変わらせた鍵。
これを見て多くの人が抱くイメージは、パンデミックの果てに重く厚い扉が開き光が射す瞬間だと思う(まりさん自身も展覧会のステートメントで「閉塞した状況を打破できるよう、願いを込めて」と述べている)。

しかし鍵そのものは、いま置かれている待機状態と、その時間がどう費やされたのかという事実だけを静かに物語り、そこにはえもいわれぬ威厳と迫力があった。

光を無益に待ち焦がれるんじゃなく、いまに傾注すること。それが実践されてできたこの作品との出会いは、展覧会をおとずれて数日を経たいまも、わたしの心に余韻を残しつづけている。

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* 誤解のないよう補足しておきますが、このテキストは装飾品をつくる過程で生じる非人道的な行為を認めたり称賛するものではありません。ジュエリーで自分を飾るという行為には、人の虚栄心が伴うものでありそこには傲慢さがつきまとうものだと思うのです。そこから目をそらさず、一人の作り手としてしっかりと向き合う姿勢についてをここでは言っています。

展覧会情報
MARI ISHIKAWA Exhibition『 (UN)LOCKED 』
gallery deux poissons
2021年8月20日(金) – 9月5日(日) 12:00 – 19:00
月曜日休廊

ジュエリーを学ぶ若い人たちへ

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ふだんはジュエリーにまつわるあれこれを書いていますが、今回はいつもとちょっと違う趣旨で書きます。そのきっかけになったのは、5月に行われたコンテンポラリージュエリーシンポジウムです。わたしは登壇後の質疑応答で、コンテンポラリージュエリーを学ぶ学生さんに何か一言ありますか、という内容のご質問をいただきました。そのさい、思いがけない質問だったのと、緊張とで一瞬言葉に詰まってしまいました。最終的に、ジュエリーがどういう意味を持つものなのか、しっかり学んでほしいということを言ったと思います。が、自分で答えておきながらその回答がどうもしっくりこず、折にふれて考えていました。その後、これだと思える答えを見つけたので書き残すことにしました。

ジュエリーを学ぶ学生さんに伝えたいこと、それは、ジュエリーが一般にどのようなものでどのような役割を果たすものか学ぶのも大事だけれど、自分にとってジュエリーがどのような存在でどのような意味をもつものなのか考えることをやめないでください、ということです。これはシンプルなようでむずかしい問題です。答えを見つけるまで時間がかかるかもしれません。かくいうわたしも、この問いに自信をもって答えられるようになったのは最近のことです。あせらず時間をかけてください。いますでに、自分なりに明確な答えを持っているなら、それはすばらしいことです。そしてその答えがこの先変わったって良いのです。

おそらくこれを読む多くの学生さんが目指しているコンテンポラリージュエリーの分野について言うと、ここ最近、ジュエリーが何かという模索はもはや必要ないのではないか、という声を目にすることがありました。そう言いたくなる気持ちはわからないでもありませんが、わたしは賛成しません。コンテンポラリージュエリーは、作り手一人ひとりが、自分にとってのジュエリーの意味や意義を模索し、それをいまという時代と呼応させて表現する分野だからです。ジュエリーの意義や役割が、時とともに変わりうる可能性を少しでも信じるなら、ジュエリーが何かという問いは時代を超えて有効であるはずです。

この問いへの答えを見つけていく過程で、みなさんはきっと、いろんな作品を見て、いろんな考えに触れるでしょう。ある作品を見て瞬時に心が動くこと。これは「反応」です。その反応が大きければ、忘れがたい感動的な体験になるでしょう。その心の動きを感じたら、そこから咀嚼に進んでみてください。

咀嚼の第一段階は、作品をじっくり見て、なぜその作品にひかれたのか、この作品にあってほかの作品ないものは何か、などを考えることです。そのさい、素材や制作方法、作者の考え、時代背景などを知りたくなるかもしれません。そんなときはできる範囲で調べてみましょう。

そのようにして、その作品をさまざまな角度から検討してみる、さらに、すでに知っていることと関連づけたり比較したりしながら、自分にとってのその作品の意味内容を考える――そうしてその作品を自分の血肉とする作業が咀嚼です。どうすればそれができたといえるか。ひとつのものさしは、その作品のどこに惹かれどこがおもしろいと感じたのか自分の言葉で言えること。理解することが情報を受け入れる比較的受動的なプロセスだとしたら、咀嚼することはその情報にたいして主体的に頭をはたらかせる、能動的なプロセスだといえるでしょう。

このプロセスがあなたの価値観をつくります。ジュエリーをふくむ芸術表現に正解はありません。だからこそ何度も問いを立て考えつづけ、自分の価値観をみがきあげていく過程がだいじなのです。残念ながらこれは、ある日いきなりできあがってはくれません。少しずつしか作れないものであり完成も終わりもありません。

ときには心から共感できる考えに出会えるかもしれません。ひょっとすると、共感するあまり、その人の言葉や表現を借りて――そのままではないにしろ、少しアレンジして、自分のものとして発信したくなるかもしれません。芸術の世界でもジュエリーの世界でも、あらゆる表現が出尽くしたと言われるいま、新しさを求めることじたいが時代錯誤にすら思われます。また、SNSなどを通じ、相互に影響を与え合うのが当たり前となった現代では、どこからどこまでがオリジナルの考えかという線引きはもはや不可能で、パクりかどうか言いだしてもはじまらないという考え方もあります。

でも、たとえ似たような内容でも、その人が考え抜いてそこにたどりついたのか、借り物の考えでしかないのは見る人が見ればわかります。人の考えを借りて手を抜くのは、先人や見てくれる人に対する敬意や礼節を欠く行為です。それだけでなく、後から自分がやったことの意味がわかると、その負い目があなた自身に重くのしかかってきます。咀嚼をかさね自分の考えに結実させるという、地味で時間のかかるプロセスを積んできた人は、手抜きで自分をつくれないことを知っています。だからこそ、だれかの考えをだまって借りて平気でいられるはずがないのです。

心の目を持ってください。オランダで活動するジュエリー作家、バッパ・ケスラーさんのインタビューによれば、彼女は制作中の見張り役として、アトリエの壁のたかいところに人形をかざっているそうです。だれも見ていなくても、こいつの目だけはごまかせない、そう思える存在を心に持ってください。人によっては神様と呼ぶのかもしれず、昔ならお天道さまという言葉で言い表されていたような存在を。これは自己検閲とはちがいます。自己検閲は他者の目を内面化し、己の行動を規制することです。ここで言っているのは、あなたがあなたに恥ずかしくない人間であるための努力です。これは容易なことではなく、わたし自身なんども失敗していますが、その都度自分にがっかりしてはやり直すしかないのです。

だれかの表現を見て、怖い、いやだ、不愉快だ…そういうネガティブな感情が起こることもありえます。その気持ちがつよければ、それをつくった人やそれを見せてきた人に怒りすら感じるかもしれません。ジュエリーを学ぶことは文化を学ぶことです。文化というのは特定の地域や集団ではぐくまれ共有されてきた価値観や習慣です。時代や地域が変わればその文化も変わります。その差が途方もなく大きければ、あなたの理解を超えるでしょう。ジュエリーもまた、気候風土や生活様式にねざす文化のひとつであり、異なる文化と文化がであい、そこに摩擦が生じて影響し合ったり、ときには一方がもう一方に吸収されて発展してきました。個人の表現も、その人が属する文化圏の影響をのがれることはできません。

近年は、グローバル化に伴い、芸術文化においても均質化がすすんでいるといわれ、突拍子のないものを目にする機会は減ったかもしれません。SNSでは自分の目に入る情報を選べます。苦手なものは見なければいいし、好奇心がはたらけば興味の対象はおのずと広がっていきます。だからといって不快なものや異質なものを一切視界に入れないようにはできません。閉鎖的な文化は爛熟期を迎えたら必ず衰退します。個人レベルでもそれは同じです。嫌だと思うものをムリに好きになる必要はありませんが、それが生まれた理由――それが生まれた背景やそこにいる人たちへの想像力だけは失わないでください。

ときには授業中に不愉快な表現や考えに遭遇するかもしれません。コンフォートゾーン=安全圏という言葉をきいたことはありますか。身の安全が保証されていてる領域をさす言葉です。そこにいれば快適ですが、困難がないぶん成長はむずかしいです。良い先生は、あなたがこのコンフォートゾーンの壁を破って新たな世界を切りひらくためなら、努力を惜しみません。生徒の成長を願い、理解が及ばないものを見せることもあるでしょう。それはまた、あなたが精神的に成熟した大人であり、それを受け入れられると認めている証でもあります。とはいえ、生徒と先生の関係の非対称性には、双方ともにつねに自覚的であらねばなりません。また、いかなる形においても、大人として認められたいという、若者として自然な欲求につけこむようなことがあってはなりません。まともな教師なら絶対にそんな真似をするはずありませんが、善意だけで成り立っている環境はまずないと言ってよく、悲しいことに教育の現場もその例外ではないのです。

見ていてつらくなるならムリをする必要はありません。また、状況を問わず、あなたをからかったりショックを与えてやろうという悪意が明らかな場合は抗議の声を上げるべきです。見せる側も、ショッキングなものを見せるときは、あらかじめそう伝えて聞く側が心の準備をしたり、見ないという選択肢を選べるようにする必要もあります。

先ほどSNSについて少しふれましたが、ジュエリー分野ではInstagramが主流なツールとなっています。自分なりの付き合い方を確立して楽しく使えているならよろこばしいことですが、人の反応が数字として可視化されるぶん気疲れしてしまう人もいるかもしれません。わたしも、自分が時間をかけて書き上げた文章をSNSで告知して反応が少なくしょんぼりしたことはあります。そんなとき、見知らぬ人からMessengerでメッセージをもらいました。その誠実な文面からは、わたしの意図がしっかり届いたことが伝わり、それを見た時に「数字とかもういいや」と心から思うことができました。

「いいね」をもらってモチベーションにすること、見てくれた人の数が少なくともだれかの心に深く残ること。どちらが良くてどちらが悪いとは言えませんし、両方の価値観のあいだを行ったり来たりするのがじっさいのところだと思います。が、自分にとって何がだいじか優先順位をつけておけば、振りまわされることはありませんし、うっかり振りまわされても少ないダメージですみます。ただし、数字はあくまで指標です。もしあなたが芸術表現としてのジュエリーを目指しているとして、フォロワーが多く影響力があればあるほど「良い」と信じて疑わず、そこに大きな比重を置いているなら、表現するという行為の意味を根本から学びなおした方が良いかもしれません。

ここまで言ってきたことはすべて、自分の軸を持ってください、そのための時間と手間を惜しまないでください、ということです。わたし自身がそれを経て至った、自分にとってジュエリーは何かという答え、それは自分でも拍子抜けするほど単純なもので、自分が世界とつながるためのものである、ということです。身につけるという行為だけでなく、だれが作ったものをどこでだれから買うか、さらに、ジュエリーについて学び、考え、伝えることを通じ、国を超えて人とつながることができているのです。

冒頭の写真は、イギリス在住のジュエリー作家、リン・チャンさんの『Reasons(理由)』シリーズのひとつです。このシリーズの指輪には、人々がジュエリーをつける理由がエッチングで刻まれています。わたしはたくさんあるなかから「It’s part of me」つまり、ジュエリーは自分の一部である、と書かれたものを選びました。理由のひとつは、わたしにとってもジュエリーは自分の一部だからです。もうひとつは、この指輪という小さな存在が、かぼそいながらも人と人とのネットワークを作り出していて(作り手、「It’s part of me」の理由を挙げた見知らぬだれか、売り手など)、自分もその一部である喜びを、この言葉を通じて感じられるからです。

あなたにとってジュエリーは何ですか? 時間をかけることをおそれず、この問いへの答えを探すプロセスをどうか楽しんでください。


2021年8月16日17:28、 19:33 | 一部修正

2021年8月21日9:46 | 一部修正

掲載情報

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詩と批評の雑誌『ユリイカ』の2021年7月号にシャネルのジュエリーについて寄稿しました。シャネルのジュエリーの装着、特に本物と模造の合わせ技についてあれこれ書きました。
シャネルは以前から気になる存在だったので、こうしてじっくり考える機会をいただけたことを心からありがたく思います。
どこかでこの鮮やかな黄色の表紙を見かけることがあれば、お手に取っていただけるとうれしいです。

I contributed an article to Eureka, a monthly magazine of poetry and criticism. This month’s issue features Chanel and reexamines her work from various perspectives. I explored what the use of jewelry, especially the mix of fake and real, could say about her.
I am thrilled to join this feature with many leading and emerging writers and critics from the fashion field and a broader cultural sphere.

掲載情報

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Argentine medical workers wearing hand medals: photo courtesy: Iris Eichenberg and Jimena Ríos

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A new article, “Hand Medal Project: Thinking about What Jewelry Can Do” is now ready on Klimt02.

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先日このtumblrに投稿したハンドメダルプロジェクトの英語版、中国語版、スペイン語版が、コンテンポラリージュエリーの総合情報サイト、Klimt02に掲載されました。

https://klimt02.net/forum/articles/hand-medal-project-thinking-about-what-jewelry-can-do-makiko-akiyama

ハンドメダルプロジェクト:ジュエリーの分際を考える

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写真提供:イリス・アイヒェンバーグ/ヒメナ・リオス(ハンドメダルプロジェクトのInstagramのフィードより)

2020年はコロナの1年といっても過言ではなかった。あれよあれよという間に世界で感染が広がり、ようやくワクチン投与がはじまったものの、2021年に入って2か月を経た今もまだ戦いはつづいている。そしてその戦いの最前線にいるのが医療従事者である。日本でも、彼らへの感謝とねぎらいとして、寄付金の呼びかけからシェフによる料理のケータリングまで、さまざまな支援プロジェクトが展開されてきた。

ジュエリーの世界でも、医療従事者を支援するためのプロジェクトが立ち上げられた。2020年4月にアメリカ在住のイリス・アイヒェンバーグとアルゼンチン在住のヒメナ・リオスが始めたハンドメダルプロジェクトである。イリス・アイヒェンバーグはドイツ出身のアーティストだが、看護師としてのキャリアを経てからジュエリーの道にすすんだという異色の経歴の持ち主で、オランダでジュエリーを学び、アーティスト・教育者として活動したのち渡米。現在も教職に就きながら、ジュエリーのほかに大型の作品も発表している。ヒメナ・リオスはアルゼンチン出身。スペインとイタリアでジュエリーを学び、帰国したあとは、Taller Eloiという工房を構えてジュエリーを教えたり、ワークショップを企画して国内外でレクチャーも行っている。

このふたりが立ち上げたハンドメダルプロジェクトは、医療従事者に手の形のメダルを贈ることで、彼らの貢献を称え感謝の意を示そうという企画であり、主にSNSをつうじて世界中に参加が呼びかけられた。このプロジェクトには、医療従事者のほかに3つの立場の人たちがたずさわる。第一にメダルの制作者、第二にできあがったメダルを預かる「ハンドキーパー」、第三にハンドキーパーからメダルを受けとり、それを医療現場の人たちにくばる「ハンドギバー」だ。

参加希望者はメールで参加を表明。そののち作り手はメダルを作り、それを入れる封筒を印刷して期限である2020年10月中旬までにハンドキーパーにコンタクトし、そしてハンドキーパーは、11月中の指定された日にメダルを医療従事者に渡す、というのが全体の流れになっている。メダルのデザインはいたってシンプルで、プロジェクトのタイトルからもわかるとおり手の形をしている。制作者は、規定の型紙どおりに金属の板を切り出して適切な仕上げを施し、リボンとピンをつければできあがり。金属の種類、リボンの素材や色は作り手にまかされており、ピン金具も、市販品でもよいし自作してもよいようだ。各部にどうこだわるかで完成品はさまざまに表情を変えると同時に、ジュエリーメーキングの初心者でも作ることができる。また、メダルの裏には各制作者に割りふられた数字が刻まれており、ハンドメダルプロジェクトのウェブサイトにアクセスすると、どの番号のメダルをだれが作ったのかを照合して確認することができる。

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写真提供:イリス・アイヒェンバーグ/ヒメナ・リオス(ハンドメダルプロジェクトのInstagramのフィードより)

主催者が当初から強調していたのは、このプロジェクトはあくまでも受けとり手である医療従事者のためのものであり、制作者が主役ではないという点だ。また、手のひらサイズの小さなものをつうじて献身や犠牲を称えるという発想の土台には「エクスヴォート=ex-voto」の風習があるという。言葉の意味としては「奉納物」だが、もう少しくわしく説明すると、エクスヴォートはキリスト教文化に紐づいており、神への感謝や願かけの意味を込めた捧げものとして、銀細工師が神と信者との仲介役を果たすかたちで制作する金属製の小さなオブジェクトで、その形に決まりはなく、聖人像やハート型、目の形などバリエーションに富んでいる。また、人目にさらされることを前提に作られており、聖人がどんな奇跡を起こしたかをエクスヴォートに文字で書いたり、その軌跡を象徴するシンボルを用いて、後からそれを見た人に情報を伝える役割を果たす。

イリスとヒメナは2019年、このエクスヴォートをコンテンポラリージュエリーの作り手が解釈したらどうなるか考察する展覧会を行った。エクスヴォートそれ自体はジュエリーではないが、サイズ感や素材、存在意義の面でジュエリーとの共通点が多いことに着目して、この企画を組んだという。そしてその直後のコロナ禍である。ふたりは、医療従事者の献身にエクスヴォートの精神で応えられないかと考え、ハンドメダルプロジェクトを立ち上げると、またたく間に賛同者が集まり、メダルの制作者は3000名超にものぼる。

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写真提供:イリス・アイヒェンバーグ/ヒメナ・リオス(ハンドメダルプロジェクトのInstagramのフィードより)

わたし自身はこのプロジェクトに参加しなかった。そして、そのことを後悔している。別の言い方をすれば、わたしは大きな災害時におけるジュエリーの存在意義を信じられなかったから参加しなかったのであり、それを信じられなかったことを後悔しているということだ。ここから先は、その信頼回復の過程をつづっていく。

わたしが参加しなかった理由は単純で、コロナ禍における医療従事者の肉体的・精神的負担は想像するにあまりあり、激務に見合う報酬と十分な休息など、もっとほかに必要な支援があるのではないかと思われたのだ。おおきな災害が起きると定番の品として、感謝や慰労・祈りなどの意味を込めて当事者たちに千羽鶴が贈られる。だが大量の折り鶴をありがた迷惑と見る向きも少なからずあり、わたしもその意見に同感である。しかし人の思いに特化し、何の役にも立たない点はジュエリーも同じである(貴金属や宝石が使われていれば金銭的な足しにはなるが、それはジュエリーではなく素材の価値である)。わたしには、ハンドメダルプロジェクトが千羽鶴を贈る行為とかさなって見えた。そしてそれは、わたしが好きなジュエリーを否定し、敬愛する作り手(主催者も、このプロジェクトに賛同した参加者も)を否定することであるようにも思われた。

わたしが悶々としているあいだにも、ハンドメダルプロジェクトは着々と進行し、Instagramのフィードには、世界各地の参加者や主催者によって投稿されたさまざまなデザインのメダルが次々とアップされていった。その盛り上がりを見れば見るほど悶々とした気持ちは深まるいっぽうだった。千羽鶴を批判する人たちみたいに、真正面からこのプロジェクトを批判できればまだよかったが、それをするには自分にとってジュエリーは身近すぎたし、そのくせジュエリーが持つ力を信じきれない自分が嫌になった。

その煮えきらない考えを軌道修正するきっかけは思いがけない形で訪れた。ハンドメダルが医療従事者の手にとどけられてから1か月ほどたったある日、ツイッターを見ていたら、アメリカ在住の救命救急医のツイートが流れてきた。そのツイートは17回にわけて連投されたもので、この救急医の勤務中に起きたある出来事と、それにたいして彼が何を感じどう思ったかが順を追ってていねいに書かれていた。その内容を以下にまとめる。

コロナ患者の対応に追われるある日、この救命救急医のもとに、呼吸困難になった患者が運ばれてきた。院内着に着がえさせるためこの患者の服を脱がすと、そこにはナチスを象徴する鉤十字などのタトゥーがいくつも彫られていた。これははじめての経験ではない。むしろ、鉤十字のタトゥーを入れた患者や差別主義者の患者には慣れっこだ。そんなときは毎回震えを覚えるが「この患者には医者が必要で、忌々しいことに自分がその医者なんだ」と自分に言い聞かせてきた。この呪文を心の中で唱えれば、気持ちを切り替えられるからだ。だがこのときばかりは思うように呪文が効かず、自分が限界にきていることを悟った。これが一連のツイートのあらましであり、そのなかには、医療従事者がパンデミック下で感じている恐怖と孤立、そして、コロナなんて作り話だと吹聴し、医療従事者をうそつき呼ばわりする人たちのことについてもつづられていた。

このツイートが示唆しているのは、絶大な負の意味がこめられた象徴は、人の心をくじく最後の一押しになりうるということだ(特に身体を直接傷つけることで施すタトゥーは、その象徴が表す思想を内面化するほど強く信じていることまで物語る)。だが、もしこれが起こりうるならば、その逆、つまり善意の象徴が、限界を感じている心の堤防の決壊を防ぐということだって起こりうるのではないか。わたしは、ベースラインの支援や保障が行きとどくことだけにとらわれすぎていたあまり、それらがあれば、ほかは何も必要ないということにはならない、というほんのちょっとだけ踏み込んだ視点が欠けていたのだ。

手には古来さまざまな意味づけがなされ、歴史を振りかえれば、お守りや愛情の証としてジュエリーのモチーフとして用いられてきた例が多くみられる。ハンドメダルプロジェクトにおける手は善意の象徴であり、人から人へ差しのべられる支援の手・絆・治癒や癒しを表すだけでなく、制作の過程や手仕事の力などへも連想を広げることができる。またこれは、このプロジェクトに関する別の記事を読んで気づかされたことなので借用するようで恐縮だが、手の形は、感染対策としての手洗いの大切さも思い起こさせる。

だが、たとえ善意の象徴が、人に前を向かせる力を持っているとしても、鉤十字のタトゥーが与えうる強烈なインパクトとショックにはかなうまいと思う。大けがを負うには一瞬あれば十分だが、その治癒にはときに途方もない時間がかかる。悪意の象徴と善意の象徴の関係はそれと少し似ている気がする。ハンドメダルプロジェクトではこの力関係の不利を補ううえで、数がポイントになっている。まずは参加者の数が多いこと。そして重要なのは、その数の多さに個々の作り手の存在が埋もれてしまわないよう、彼らを特定できる工夫がなされていること(先に述べた通り、メダルに刻まれた数字をウェブサイトで照合すれば作り手の名前を知ることができる)。

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写真提供:イリス・アイヒェンバーグ/ヒメナ・リオス(ハンドメダルプロジェクトのInstagramのフィードより)

また、貰い手は、自分のメダルの数字を見ることで、その前後にはそのほか大勢の作り手、つまり医療従事者を称えたいと考えている大勢の人たちが連なっていることを想像することもできる。さらには、神と信者の仲介役というエクスヴォートにおける制作者の役割を、ハンドメダルプロジェクトにも当てはめて考えるならば、このプロジェクトに参加した制作者は、医療従事者と一般大衆との仲介役であると言える。つまり、一人ひとりの制作者が大衆の代弁者なのだと考えると、ひとつのメダルの重みがぐっと増す。

最後に、ジュエリーにたいする既成概念という点にも目を向けておきたい。メダルは、優れた功績を残した人に贈られるものであることは世界的な共通認識である。そのため、典型的なメダルの形式にのっとったハンドメダルを医療従事者がつけていれば、それを見た周囲の人たちは、彼らが称えられるべき何かを成し遂げた人たちであることをすぐに認識できる。これも、感謝を捧げるべき聖人の偉業を広く伝えるというエクスヴォートの役割にも通じる点である。

ジュエリーがなしうることをこうして数え上げてみても、感染症拡大などの大災害における支援としては、ジュエリーの優先順位は低く微力である。だが、それがジュエリーというものなのであり、そうである以上、微力であることを知りながらその微力を出し切り、届く人には届くことを願うしかない。手仕事の力、象徴の力、小さいものが持つ力、ジュエリーならではの特性を駆使しつつ、時にはジュエリーに植えつけられた固定概念すらも賢く利用させてもらいながら。

煎じつめれば、当たり前のことに気づくのに時間がかかりすぎたというだけの話である。だが、ジュエリーの分野にいながら、ジュエリーへの信頼を失いかけてしまった人たちがほかにもいるかもしれないし、あるいはいつか、わたし自身が再びその信頼を失いかけることがあるかもしれない。そんなときに基本を思い出すための小さな手助けになることを願って、自分が思い感じたことをこうして文章にして記録しておくことにした。

また、誤解を防ぐためにひとつつけ足しておくと、自分がいる分野を信頼することは、その分野を盲目的に肯定し、批判的・批評的な思考を失うこととは根本的に異なる。むしろ、批判的思考なくして信頼は成り立たないのではないかと思う。わたしが言いたいのは、置かれた状況において、その分野に何ができるのかという分際をしっかりと見きわめ、そこに注力することが大事だということだ。そして、わたしにそれを改めて思い出させてくれたのが、このハンドメダルプロジェクトなのである。

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写真提供:イリス・アイヒェンバーグ/ヒメナ・リオス(ハンドメダルプロジェクトのInstagramのフィードより)

ハンドメダルプロジェクト公式情報:
https://handmedalproject.com/ (ウェブサイト)
https://www.instagram.com/handmedalproject/ (Instagram)

関連記事:
“IN YOUR HANDS Join The Hand Medal Project (In English/Spanish)” By Elizabeth Essner: Art Jewelry Forum
https://artjewelryforum.org/in-your-hands

“HELPING HANDS (IN ENGLISH/EN ESPAÑOL) An Update On The Global Hand Medal Project” By Elizabeth Essner: Art Jewelry Forum
https://artjewelryforum.org/helping-hands-in-englishen-espa%C3%B1ol

EX-VOTOS AND CONTEMPORARY JEWELERS by Jimena Ríos: Art Jewelry Forum
https://artjewelryforum.org/ex-votos-and-contemporary-jewelers

最終閲覧日はすべて2021年2月28日

映画に登場するジュエリー③:番外編

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Jane Seymour / Hans Holbein  (1497/1498–1543)/ painting / between circa 1536 and circa 1537 / oil on panel / Deutsch: spätere Anstückungen (links 4 cm rechts 3.1 cm) unter dem Rahmen: 65.4 x 40.7 cm Rahmenmaße: 89.5 × 65.5 × 6 cm / Collection: Kunsthistorisches Museum / Accession number:
GG_881 (Kunsthistorisches Museum) / Source/Photographer:Kunsthistorisches Museum Wien, Bilddatenbank.
(出典:Wikipedia Commons

ひとつ前の投稿で『ブーリン家の姉妹』を取り上げ、主人公のアンが身に着けていたネックレスの役割についてあれこれ書かせてもらったが、その際、作品の舞台である16世紀初頭の装いやジュエリーなどに関しても補足を加えようと思い、いくつかリサーチを行っていた。だが、かんたんな記述にまとめるには、内容がまあまあ広範に及んだため、ここでは「番外編」と題し、リサーチの一部を断片的なノートとして記載しておく。まとまった形に整理していないし、ジュエリー史をかじった人であれば常識の範疇内の情報も多いので共有すべきか迷ったが、ネットで簡単に調べただけでは見つけにくい内容も含まれているため、映画のジュエリーに興味を持った人が、今後詳しく学ぶためのきっかけになればと思い共有する。

・時代はルネサンス=文芸復興。芸術文化の世界では、古代ギリシャ・古代ローマの影響大。ジュエリーも多分にその影響を受けたものの、当時は古代の宝飾品がほとんど知られていなかったため、古代建築の装飾のモチーフを借りるなどして、そのエッセンスを取り入れた。また、古代つながりで神話を主題にしたジュエリーも広く出回るようになる。

・14世紀以降ダイヤの加工が可能になったこと、またスペインやポルトガルの遠征もあって宝石の流通量がドンと増え、人々がかつてないほどジュエリーを身に着けた。宝石や七宝などで色彩豊かな表現も多くみられた華やかな時代。

・ファッションとのつながりでいうと、とくに『ブーリン家の姉妹』の舞台である16世紀前半イギリスのチューダー王朝の女性の間で流行としたものとして、ゲーブルフード(gable hood)と呼ばれる切妻形の頭飾りがある(劇中に登場する、もうひとつの三日月型の頭飾りはフレンチフード(French hood)。胸元が大きく四角くあいたドレスと合わせて用いられることが多かった。

・ゲーブルフードを使ったファッションに合わせて使われた装飾品が、真珠や宝石を並べて帯状にした縁飾り。ゲーブルフードの顔周りに使われた場合はビリメント(biliment)、襟ぐりに縫い留めて使われた場合はスクエア(squares)と呼ばれた。そこにさらにカルカネット(carcanet)と呼ばれる首周りにフィットするネックレスと、腰回りに巻いて先端を正面に垂らすガードル(チェーン状の装飾ベルト)とが組み合わせられることも多かった。冒頭に掲載した、ハンス・ホルバイン(1497/1498-1543)作によるジェーン・シーモア(1508-1537)の肖像画には、これらの品をすべて見て取れる(このジェーン・シーモアは『ブーリン家の姉妹』にも一瞬だけ登場)。また、胸元の大ぶりのブローチも、当時のモノグラムデザインの流行を物語る。

・ネックレスの重ね付けも流行。首周りに沿う短いものにロングネックレスを合わせ、長い方は下半分を服の中にたくしこんだ。指輪も人気のアイテムで、現存している肖像画からは、指の数より多い指輪をはめたり、手袋の上から指輪をはめたりしていたことが確認できる。

・ヘンリー8世(1491-1547)は大のジュエリー好きで、意中の女性や娘に数々のジュエリーを贈っただけでなく、自身もありとあらゆる宝飾品で身を飾った。こちらも肖像画が良い資料。帽子飾りやネックレス、指輪はもちろん、肩から胸元にかけてなだらかな曲線を描くように装着する、カラーと呼ばれる帯状のネックレスも装着した。下着をのぞかせるために服にあけたスリットを留めるボタン状の飾りは当時の独特の装飾品。

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Portrait of Henry VIII / After Hans Holbein  (1497/1498–1543) / painting / after 1537 / oil on canvas / H: 2,390 mm (94 in)W: 1,345 mm (52.9 in)/ Collection: Walker Art Gallery / Accession number: WAG 1350 (Walker Art Gallery)
(出典:Wikipedia Commons

・ヘンリー8世のジュエリーには、ハンス・ホルバインのデザインによるものも多い。ホルバインはドイツ出身の画家だがイングランドで活躍。自身は金細工師ではなかったが、ジュエリーの図案集も出すほど優れたデザインを数多く残している。ホルバインに限らず、当時は数多くの画家が、芸術修業の一環として、特にイタリアの金細工師の工房で訓練を受けた(ヨーロッパ北部ではこの傾向は比較的薄かった)。そのためこの時代の肖像画に出てくる宝飾品は細部まで緻密に描かれており、ジュエリー史を知る上でも重要な資料。このころの芸術家と金細工師のつながりは、もはや両者を線引きすること自体が無意味であると唱える説もあるほど、密接で相互に浸透していた。

・ホルバインと同時代にイタリアで活躍したのがベンベヌート・チェリーニ(1500-1571)。彼や幾人かの同時代の金細工師は絵画や彫刻の制作も行っていたため、彫刻に求められる要素がジュエリーにも反映される形となった。彼のジュエリーは現存しておらず、ジュエリー史においてその存在が重要視される理由は、優れた作品だけでなく、自伝を通じて当時のジュエリー文化に関する具体的で詳細な記述を多く残したことが大きいとされている。

・イタリアでは20世紀に入ってなお芸術家と金細工師との密接なつながりが見られ、ジャンカルロ・モンテベロ(1941-2020)の工房では、ルチオ・フォンタナやニキ・ド・サンファル、マン・レイら50名超の芸術家と共作している。

・エリザベス1世は真珠好きで、肖像画にもおびただしい数の真珠で身を飾った姿が描かれている。山田篤美氏は著書の『真珠の世界史:富と野望の五千年』のなかで、エリザベス1世の『アルマダ・ポートレート』に描かれる真珠は、その色が灰色や鉛色であることからパナマ産のクロチョウ真珠であろうと述べている。真珠の色味から産地を特定し、さらにはそれを肖像画を通じて行っている点で興味深い。

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Portrait of Elizabeth I of England, the Armada Portrait / Artist
Anonymous (Formerly attributed to George Gower) / painting / circa 1588 / oil on panel / H105 cm (41.3 in); W133 cm (52.3 in) / Collection: Woburn Abbey / References: Cooper, Tarnya (2014) The Real Tudors : kings and queens rediscovered, London: National Portrait Gallery ISBN: 9781855144927. Woburn Abbey
(出典:Wikipedia Commons)

参考文献:

ジョーン・エヴァンズ『ジュエリーの歴史:ヨーロッパの宝飾770年』古賀敬子訳、八坂書房、2004年

山田篤美『真珠の世界史:富と野望の五千年』、中公新書、2013年

Clare Phillips, Jewelry: From Antiquity to the Present, London:Thames and Hudson, 1996


参考ウェブサイト(最終閲覧日はすべて2021年1月16日):

Henry VIII’s Favorite Jewelry Designer
Painter Hans Holbein made jewelry for the king that still inspires designers
by Emily Selter
https://theadventurine.com/culture/jewelry-history/henry-viiis-favorite-jewelry-designer/

Inventory of Henry VIII
https://en.wikipedia.org/wiki/Inventory_of_Henry_VIII

2008 – CHADWICK, THE OTHER BOLEYN GIRL
https://fashionhistory.fitnyc.edu/2008-chadwick-the-other-boleyn-girl/

The conductor of an orchestra of artist jewellery. GianCarlo Montebello interviewd by Una Meistere
https://klimt02.net/forum/interviews/conductor-orchestra-artist-jewellery-una-meistere

GIANCARLO MONTEBELLO: A LIFE FOR ART AND JEWELRY
http://nikidesaintphalle.org/giancarlo-montebello-a-life-for-art-and-jewelry/